| ■ なぜ株式投資なのか ■ |
| 投資スタンス | |
| 今後、更なる高齢化時代を迎え年金は頼りにできません。また、現在の超低金利では、下手をすると物価上昇分だけ資産が目減りしていることになります(実際はゼロ金利でもデフレ分だけ価値は上昇していますが・・・)。ペイオフ解禁、確定拠出型年金への移行を控え、個人による自己責任での資産管理が今後更に重要になって来ると思います。そのような外部環境の中で、株式投資を資産形成の一部として加えることは避けられないと思います。現在において尚、株はギャンブル的なもの、株は株屋のものという意見が聞かれるのは非常に残念です。デイトレを中心に行う投機家、仕手戦が繰り広げられる一部の銘柄、そのような株の負の側面を見て株式投資が敬遠されてしまう現状は真っ当な資本主義社会の姿ではありません。投資教育を蔑ろにしている国や、弱小個人投資家を食い物にしている某大手証券会社に問題があるともいえますが、それについて書くと長くなるのでここでは控えます。 とにかく、インターネット時代の到来、株式売買手数料の自由化を受けてここ数年、株式投資環境も激変してきました。アナリストと同じ速さで情報が入り、自宅にいながらネットで売買注文が出せ、手数料の下落により売買頻度が上昇する。デイトレをする環境が整ったという気もしますが、私はそのような売買は推奨しません。それでは投機家になってしまいます。投資家としての基本は、優良銘柄の長期保有だと思っています。情報収集と分散投資を行うことで、長期的に見れば株のリスクはかなりの部分低減できると思います。とはいえ、あまりにも理想論に走ると株式投資が面白くないものになってしまいかねないので、一部で遊び売買をする余地を残しています。まだまだ未熟な投資家です。 1998年4月28日に株式投資を始めました。当時の日経平均は15800円くらいだったと思います。何故この歳で株に走るようになったかは「私と株との関わり」に書きました。気が向けば駄文をお読みください。 現在私は28歳になりました。独身で扶養家族があるわけでもないので、せいぜい必要なのは結婚資金ぐらい(相手がいればの話ですが(^_^;))、その他はすべて余裕資金になるわけです。で、この超低金利の時代に銀行に預けておいてもどうしようもないので株に手を出したわけです。株を始めてからは新聞の見方が微妙に変わってきたような気がします。政治、経済、国際問題、社会問題など、株価を中心に見るようになりました。 私の周りで、私と同世代の人で株式投資をしている人(持株会を除く)はほとんどいないでしょう。ハイリスクだと思っている人が多いような気がします。確かにハイリスクな点はありますが、実際は正確な知識を持たずにイメージだけで思っている人が多いような気がします。そんな状況で尚、私としては20代の人にこそ株式投資をしてみてもらいたいです。その理由としては、
こんなところでしょうか。あくまでも原則ですが。リスクは少なく、コツコツと着実に楽しみながらというところです。株式投資というよりも、「自前の日本株ファンド」を運用しているようなもんです。現在、資産に占める株式および株式ファンドの割合は50%くらいです。一般常識からしたら随分チャレンジャーな割合になっています。将来的には合わせて40%くらいまで下げようと思っています。 ちなみに私、パチンコしません、競馬、競輪、競艇しません。麻雀しません。要はギャンブルはしません。絶対勝てないと思ってますから。あと、ゲームもしなくなりました。宝くじは3000円だけ買います。 株はそれらとは全くの別物。あくまでも楽しみながらする貯蓄です。現在の段階では結構な額のマイナスとなっていますが、長ーーーい目で見ていこうと思っています。 |
| 株式投資を始めるまで |
| 昭和48年、金融機関に勤める両親の次男として生まれた私は手を伸ばすと四季報が有るような環境で育っていました。枕の代わりに四季報、筋力トレーニングに四季報。「何かわからないことがあったら四季報を見ろ」が我が家の教えでした>^_^<うそ。 そんな、周りに四季報が転がっている環境で育ったが、小さい頃はこの本って何なんだろうって思っていました。そしていつの間にか、うちの新聞が日本経済新聞になっていたんです。 そして時は流れ、中学生になりました。日本電信電話が民営化され、NTT株が300万円台に暴騰して世の中がバブルに向かって突き進む中、とある街外れのゲームショップでその「キラリン」とひかるゲームを見つけたのです(意味不明)。それは在庫処分セールのカゴの中にあるファミコンソフトでした。当時はまだ、初代ファミリーコンピューター(任天堂)の時代でした(懐かしかー)。 はっきりとは覚えていませんが、株式を売買して一定の期間内にある金額まで増やさなければならないというゲームだった気がします。このゲームで私は、ローソク足の見方や、出来高と株価の推移の関係などを株のイロハを覚えたのです。ちなみに、そのゲームでの売買は、実在の会社の実際の値動きが元になってました。で、会社のデータとチャートの値動きだけで売買をするわけです。今、私はテクニカルな売買はしません(できません)が、会社のデータをチェックした後、出来高とチャートを見て最終的に売買を決めるやり方はこの辺りから来ていると思います。言い換えればそのころから進歩していません。 で、そのゲームですが、ブラックマンデーでの売買がポイントになってたんです。でも、そんなの一回すればいつ来るかわかるじゃないですか。というわけで、ゲームとしてはワゴンセールが妥当かなっていう代物でした(でも結構好きだった)。 高校3年生になった私は、当然、経済学部を受験・・・しませんでした。選んだ先は工学部。そして化学系へと進みました。 大学生になった頃には、バブル崩壊のきざしが現れていました。当時はまだ1年ものの定期預金で、5%くらいの利息がついていました(今と桁が・・・絶句)。そのころは金融に関する知識もほとんどなく、何気なく1年ものの定期預金をしていました。そして、年々下がっていく金利に寂しい思いをしていたのを覚えています。このころの株との関わりとしては、親から貰ったすかいらーくの株主優待券ですかいらーくやガストで食事をしたり、日本エアシステムの株主優待券を使って半額で航空券を手に入れて帰省したりというぐらいでした。 ちなみに大学時代の私のメインバンク(っていうほど取引無いけど)は、あの「徳陽シティ銀行」でした。住んでるとこから100mくらいのとこに支店があったのと家賃の振り込みがそこだったので。。。当時から兵庫銀行に次ぐ日本で2番目に危ない銀行といわれていたものの、私のような小口客には関係のない話なのでそのままにしてました。ていうか、一度自分が口座持っている銀行が潰れる経験をしてみたいなぁなどと、不謹慎なことを考えたりもしてました。しかし、その希望も叶わず仙台を離れるにあたりついに口座を解約するはめになりました。ギリギリまでお金を引き出して口座はそのままにしようかなぁなどとも考えましたが、実家からも就職先の関西からも遙かに離れているため諦めました。そして、社会人1年目の秋(だったと思う)、山一証券が潰れ、その後しばらくして徳陽シティ銀行は消滅したのでした。どうせ潰れるならもっと早く潰れてくれぇなどという不躾な想いと共に・・・。 青田買いといわれ、会社見学にいくと豪華にもてなしてもらえた時代は遠くに過ぎ去り、大学と大学院の6年が終わり就職する頃にはずっぽりと不況にはまる日本がありました(T.T)。就職先として選んだ会社は証券会社・・・なわけなくて、電機系製造業です(ちなみに三洋電機ではありません。三洋電機は単なるファンです)。化学を多少でも生かすには三洋電機ではダメなんです(そんなこともないか、電池とかあるし)。 1997年4月、なんとか無事就職でき給料というものをもらい始めました。しかし、実家と大学が離れていたこともあり、また、6年間使ったからいいやってこともあり、大学時代に使っていた家財道具を何一つ持ってこなかった私は、全てを一から買いそろえる必要があったのです。また、田舎なんで車も必需品でした。それでも何とか秋になって少しまとまったお金ができていました。 話はそれますが、現在私の勤めている会社には持株会があります。会社に入った当初はすぐに入ろうと思っていたし、父親からも勧められてました。しかし、当時の株価が4500円くらい。これでは月に2万円程度ではいつになったら単位株になるかわかりません。確かに、1000円一口で一口当たり50円(5%)の奨励金が付くのは魅力でしたが、結局毎月同じ日に高くても安くても一定額で買い足していく方法に魅力を感じずやめました。ドル・コスト平均法で長期的に見ればおとくなのはわかりますが、でもこれって右肩上がりの場合ですよね。あと、結局は一銘柄に集中投資することになるので(月々の金額にもよりますが。。。)リスクが高いと思います。業績変動と共に株価の方も上下しますが、業績に変動するのは給料だけで十分だと思います。極端なことをいうと、会社が倒産した、収入が無くなった、持株会も紙屑になった、という可能性があります。会社としては安定株主の増加、自社株を上げるために頑張って働くなどメリットはあると思いますが、好きなときに売買できず、収入と資産を両方失う可能性がある持株会は個人の投資先として不適当だと思っています。どちらかというと自社および同業会社の知識を生かして、株式売買をした方が良いと思います。もちろんインサイダー取引になってしまっては捕まりますが。 話は戻って、秋になって「あるじゃん」を見ていた私は、ミニ株というものがあり、小額でも株の売買が可能なことを知りました。また、普通のサラリーマンとして平日昼間に取引なんてできないと思っていましたが、インターネットで可能なホームトレードがあることも知りました。そこでとりあえず近くに支店のある(20kmが近くか???)大和証券に資料請求をしたのです。 無事に口座を開設した私は、とりあえず手始めにMMFを買ってみました。さあ次はミニ株だと思ったときそれは起きました。証券スキャンダル。大和証券のホームトレードも売買停止の対象となってしまったのです(電話での注文はできたんだっけ?)。そして1998年1月の暴落を目の当たりにして絶好の好機到来と思いながらも動けませんでした。 そして3月の決算を何とか乗り越えた株価も、4月に入って再び1万5000円台に低迷。ホームトレードでの売買も再び可能になり、好機到来とばかりに初売買に挑みました。 記念すべき初購入銘柄は三井化学、三洋電機、大和証券、良品計画でした。 三井化学 275円で200株。後に408円と445円で売却、+27600円。 三洋電機 369円で100株。後に423円で売却、+4000円。 大和証券 512円で100株。後に640円で売却、+16000円。 良品計画 11200円で10株。後に14000円で売却、+23500円。 という結果に終わっています。当時はミニ株での比較的短期の売買が中心でした。 三井化学は合併効果もあるのに何でこんなに安いんだろうって値段でした。三洋電機は当時からお気に入りでした。大和証券は利用している証券会社だったから。良品計画もお気に入りだったから、と選定理由はいい加減だったにもかかわらずそれなりの利益をもたらしてくれました。 ちなみに上の3銘柄はその後もちょこちょこ買ったり売ったりして利益をもたらしてくれました。その後、大暴騰を演じた良品計画は、成長神話の陰りと共に一転大暴落しました。ファーストリテイリングの30倍増を逃したり、初期の頃の失敗は大きな経験を得ると共に現在の投資スタンスに大きな影響を与えています。 売買単位の引き下げ、株式分割などにより、少額での株式売買が徐々に広まっていっています。そんな時代の流れと共に、投資はミニ株中心から単位株(単元株)での売買が中心になってきています。 |